日本らんちう協会の歴史

日本らんちゅう協会が、昭和三十一年十一月三日に第一回の品評大会を開催して以来、協会は斯界の頂点に位置して権威を誇り、回を重ねる度毎にらんちうの奥の深い飼育、観賞の向上を積み重ねて参りました。全国の会員数の増加は誠に喜ばしく、併せて日本らんちう協会の権威と信用を培って参りました。

昭和十五年に山中吉太郎氏の主唱で、日本らんちう連盟が結成されました。東京観魚会・横浜鑑賞会・浜松錦友会・名古屋愛聯会・京都愛鱗会・大阪錦蘭会の六つの会が、会単位の競争をしておりましたが、戦争が激しく成った為に、京都の知恩院のお庭を拝借して大会を開催したのを最後とし中止されました。優勝旗が京都の方に保存されているそうです。

戦後、世の中の生活が落ちつきを取り戻してきましたので、昭和三十年十月二十七日名古屋守山で準備大会を開き、日本らんちう界の大元老で偉大なるらんちう研究家、故石川亀吉翁先生を中心に、個人単位の全国的な日本らんちう協会が設立されました。当時の観魚会の方々が主力になり、総本部を東京石川宗家宅に置き、日本を三つの地域に分け、東部は観魚会、中部は金魚文化連合会、西部は大阪錦蘭会、京都金鱗会が主体となり組織化、各本部を運営、第一回の大会は昭和三十一年十一月三日、東部本部が担当で石川宗家宅で開催されました。

第二回大会は西部本部担当で、大阪田辺のたちばな旅館前庭、第三回大会は中部本部担当で、名古屋テレビ塔で行われ、東部、西部、中部の順で今日迄開催されております。日本らんちう協会は、昭和三十一年(1956年)、全日本を東部本部、中部本部、西部本部に分割して設立し発足しましてより半世紀の時代を経て現在に至りました。事業の品評会は爾来、東部本部、西部本部、中部本部の順にてその年の十一月三日が恒例とされるようになりました。

斯界には協会に対しての厚い信頼感と協会の権威を認める圧倒的な支持感があります。日本らんちう協会も常にらんちう界の発展と鑑識並びに飼育技術の向上に貢献すべく、たゆまぬ努力を続けてまいりました。日本らんちう協会草創期から現在に至る、半世紀以上に達した歩みをつまびらかにする事によって、今日的な意義も計りしれないものがあり、長い伝統が後に続く世代に確実に継承されることを強く願うものであります。

日本らんちう協会が、今日の隆盛を見ることが出来ましたのも、一重に日本らんちう協会会員各位のご支援ご協力の賜と、厚くお礼申し上げます。2011年7月に当日本らんちう協会の会則の三本部の名称、事務所の所在地などを改変した一般社団法人日本らんちう協会が設立されましたが、我々はこれまでの会則をそのままに、これまでの歴史に裏付けされた、創立当時の観魚会を含む東部本部、金魚文化連合会を含む中部本部、錦蘭会を含む西部本部の3本部の独立性を尊重した、従来通りの日本らんちう協会として歴史を積み重ねて参る所存です。